こんばんは、
世間でいう今年のGWは終わったみたい
最近は一日中睡魔が襲ってくるけど、バイトでなんとか目を覚ましてます 逆かな?
前に綴ろうとしていたことは、忘れちゃったというか自分の中で消化したのでまた後日
今日はわたしの転機というか、学生時代の自分の大部分を占めていたものについて長々と拙い文章で話します
バレーです、排球、ハイキュー!
小4でクラブチームに入ったんです
幼稚園、小学校の時の私は、運動が大の苦手で、走りは遅いし球技もできないしで体育がある日は行きたくなくて憂鬱な気持ちでした
もちろん運動会練習とか、スポーツ測定とか「地獄」ですね。恥さらしとしか考えてなかったです、心が泣いていました
ある日、体育館の窓に貼られてたバレー部員募集のチラシを見て、当時からママさんバレーをしていた親に無理やり体験に行かされました
6人で1チームなのに5人しかいないんだよ、と言われ、妹と2人でその日に仮入部し、次の週には練習試合に出ました(顔面にアタックをくらい鼻血を出して号泣したことを覚えています)
連続100回続かないと次の練習メニューに参加出来ないシステムに殺られ、最初は案の定続かず妹と号泣したな。運動神経皆無の私には何から何までハードで、楽しさなんてすぐ実感できなかったけど、監督から毎日のように「ボールは尖ってなくて丸いし、友達だよ」と言われて内出血した腕もボールに慣れていきゆっくりだけどバレーを知っていった
ちょうどその頃アニメのハイキュー!!がはじまったらしく、「頂の景色を、、」とかなんとかコーチがハイキュー用語を沢山使っていたという事実を、私は高校生の時知ることになります(高校でようやくアニメの世界に浸かり始めます)
少しして、後から5人くらい同い年の子が入ってくれて私が入ってから何故か部員もだんだん増えた
私は他人と比べずとも本当に上達が遅く、毎日怒られてました
で、最悪なのが、怒鳴られる度に泣くんですよ。悲しくてというより、みんなの前で怒鳴られる声にびっくりして、怖くて、泣いて、「まーた泣いた」とまた怒られて呆れられて、の繰り返しでした
当時流行ってたプロフィール帳のメッセージ欄には「泣くな!!強くなれ!!!」と年上のメンバーに書かれる羽目です(先輩なりの優しさとわかっていながら)
人前だし恥ずかしかったけど、泣きたくなくても涙が出てしまって、どうしていいか分からなかった
監督からの印象は、ただただ泣き虫野郎でしたね。おそらく。
ちょっと長くなりそうだからここまで
→後日②へ
p.s.
久しぶりに過去の投稿見返したら懐かしくなって、私の感情ってこんなにも面倒臭いんだってまた改めて自覚しました
白紙