流れる

ハロー、ヒートテック

 

 

 

言葉は流れるということを、ただただ書き連ねてしまったものがいくつかあって(2つ)

纏めるのも延ばすのも面倒なのでほぼそのままの状態で此処に残しておきます

自分がこう感じたというだけのただの記録です

もし良ければ目にしてね

 

 

①と②がありますが

同じ日に綴ったものでは無いので 言葉がぶつかったり或いはニュアンスが違うものだと受け取れてしまうかもしれない(いずれも拙いです)

 

言葉に永遠なんてないということを考えれば考えるほど、虚しくなっていた去年
言った方は忘れてて、言われた方は覚えてると、よく耳にする
大好きな人達の「ずっと」や「いつまでも」って未来を継続するような言葉さえも、1滴の水のようなものでしかなく、いつか消えてしまうものなんだと そして消えるのは大抵垂らした側だけであって、言葉を貰った側が無意識に想像で1適ずつ増やしているだけなんだということもまた、残酷のようで自然なことなんだなと
やっぱりそうなんだなあと経験した頃、私は彼らに出会ったので、最初は彼らの音楽しか深く愛せなかった
 
音楽だけは裏切らないと私は思っていて
作詞者作曲者の意図や意味があろうと、いつでも触れられて、聴いている私だけのものにできて、それでいて歌詞は歌詞として割り切れる、すぐ消えてしまい得る1滴なんかじゃないと思える、音楽は決して離れたりしないと 私が音楽を好きでいる所以は此処にある気がしています
 
そう考える中、ブログって私の中で大きくて、彼らの中で私たちに向けてくれる言葉が更新されるという事実がただ嬉しかった(更新って言葉は少し語弊があるけれど)
同じ言葉を1滴ずつ増やしてくれる人、その日の胸の内を語る人、ブログという形で日々言葉を届けてくれて、届け続けてくれてありがとうの気持ちでいっぱいです
彼らに出会ってからは、大好きな人達が使う永遠を意味する言葉は、そのくらい長くって意味なんだなと気持ちの尺度として前向きに捉えるようになった
SNSで言葉を届けられること、1滴ずつではあるけれど、届いた貴方の中で消えないように、日々大好きな人へ言葉を綴っていきたい

 

(X、ここでの彼らに該当するための垢より)

 

 

 

言葉は流れる、本人が心に保存しない限りいつまでも消えないのは受け取った側だけ 言葉ってそういうもので、誰しもそうなんだなと思いますたとえ何らかの媒体で残されたとしても

 使い回さず伝え続けてくれる言葉だけを信じたいけれど、私のように言葉数が少ない人間もいるし、それ以前に自分の周りの何かが一つでも変われば言葉のことを語る前に気持ちも変わりうる

だからこそ好きとか愛とかそういう尺度だけで信じることも疑うこともできてしまう、どんな言葉かじゃなくて誰の言葉かなんだろうなって

良くも悪くもではあるけど

人間ってほんとうに都合がいい生き物だなと常々。

私は
好きだと思えるものはその気持ちが消えない限り愛す、愛したいと思うんだろうな

 

(今日の夜の私より)

 

 

 

 

拙く脆い記録でした

 

 

 

 

白紙

 

 

 

 

 

彩り

夜は暖房つけたいくらいの気温になってきた

 

 

 

楽しみがある火曜と金曜にサンドされている

水曜と木曜が今の私にとって憂鬱な日です

 

でもやっぱり、日々生きる中で全く同じ一日はないんだと 証明させてくれる何かを無意識に探してしまいます

 

 

今日は

少し前にのど飴をくれた隣の席の子の体調が悪そうで

先週まで喉が潰れてた私に発音練習を止めとこうと言ってくれてたので 今日は私から無しにしておこうと声をかけました

いつになったら発音練習できるのかななんて言い合いながら先生にバレないようにその時間は2人で笑っていました

 

授業が進むにつれやっぱりしんどそうなのが気になったので 何かできないかなと思い、

鞄に常備しているバファリン(薬)を手に取りそっと渡しました 

 

そしたらジュースしか今手元に無いというので練習問題で先生に当てられる前にこっそり授業を抜けて買ってきな〜〜って促しました 笑

タイミング悪く戻ってきたらすぐ当てられていたのでその子に正解かも分からない私の解答を共有した

 

 

席指定があるのは言語くらいなので

久しぶりに学生らしいことしたなあって

体調の心配はあったけど少し嬉しくなりました

 

 

授業終わりに丁寧にお礼を言ってくれて

凄く大袈裟だけど、今日を自分として生きたなって

思えました

 

 

 

変わらないと思ってしまう日々の中で

どんなに小さくても探したら幸せは 彩りはあるのかもしれないな

そう思っていたいです

 

 

しあわせは

歩いてこない

だから

歩いてゆくんだね

 

 

 

 

白紙

 

 

 

 

なにもの

今日は まだ明るいうちだったけど

月に気づけてひとり嬉しくなって帰ってきた

 

まだ彼らのファンになる前、

私には中学生になる手前頃から好きでいたボーカルグループがいたのだけれど

その時初めてSNSで好きなグループや人が同じ同士で繋がるってことを経験したんです

界隈によって違うのかもしれないけどその界隈はInstagramが主流で

約2年くらい、今のようにたくさんの人と繋がっていました

(今はその界隈では一人しか繋がっていないんだけど)

その時から私の名前は白紙でした

 

 

性格上なのか

嫌われたくない、みんなと合わせなきゃと

友達含め人と関わるとそのような気持ちが言動に出て、難なくこなせる自分だなあと気づきました

難なく、というのはきっと、無意識に私の一部としてって意味なんだなあということも

 

これといった夢もないし、

誰かの1番でもない

 

そんな自分を客観的に見つめた時に

白紙みたいだなと思いました

 

ぐちゃぐちゃにもなるし

切り刻まれることもある 

 

何色にでもなれるし なれてしまう

 

自分の性格や何かが無意識に

白紙を、私を自由自在に扱っているんだなって

 

 

いちばんすきな花、2話をみて

勝手に、4人の胸の内を白紙という自分に重ねてしまいました

 

 

今日の帰り道、シャッフルでKing & Princeの「なにもの」が再生されて

 

何者でもなくたって夢を描こう
真っ白なキャンバスに足してゆけば
ごちゃごちゃだった絵もいつの日か
きっと壮大な風景に変わってゆく

 

この歌詞に少しだけ救われて

白紙をもう少しだけ前向きに捉えてもいいのかなと思えました

 

 

Q.「本当の自分がわかりません」

 

A.「みんなそんなもんです 取り繕ってしまう自分も 心を開いてる人の前での無防備な自分も そのぜーんぶが自分だから どれかひとつになんてしなくて良いです」

 

前述したボーカルグループの中の、1番応援していて今も大好きな人のInstagramの質問箱の回答。

物事や自分を悪く考えてしまう時に思い出すこの言葉は

忘れずにいたくて 大事にしたいなと、思います

 

 

 

おやすみなさい🌜

 

 

白紙

 

22、日

22日、日曜日、休日

 

今日はもともと何もなくて

買物行こうと思っていたけど

何故か、外に出たら何かが自分に向かって落ちてきそうで、歩き出したら地に足がつかないで下へ下へとどこまでも落ちていきそうで

原因の分からない恐怖心に駆られて

朝にゴミを出してそれからはずっと布団に籠ってしまっている

 

 

月が出るかもしれないからそろそろ外に出てみようとか思っていたのになあ

 

 

わかりません

 

 

 

 

白紙

 

 

昨日見た世界

寒いね、朝です(もう昼です)

 

 

昨日見た世界が

現実では178分の世界が

原作を読んでないままの者だったからか

自分の勝手な想像を意図も簡単に超えてしまって

今も思い出す度苦しくなっています


実際に怖くなって計20分位は目をつぶってしまったから

自分の中で丁寧に見たかったけれど見れなかった苦しさともう一度飛び込む怖さがあって

感想など今の自分に書けそうにない

 

ただ、心がぎゅっと詰まった、きっと良い意味でいつまでも引きづってしまうような

つめたくてあたたかい

そんな世界でした

 

 

 

白紙

 

 

 

 

 

今日の、木曜日

いつも木曜日は

帰りが早くて 一人の時間が多くて

やっぱり考えてしまうことが多いけど

そればかりじゃないことも、忘れないでおきたいから

いつもの木曜日の中でも、今日の木曜日のお話

 

ありがとうだいすき!と言われた1時間後の中国語の授業

毎回発音練習を隣の人とペアでしなくちゃいけなくて

でもまだ風邪が治んなくて声がガラガラな私に

隣の席の人が

今週も練習無しにしてあげるねって

私何も言ってないのにそう言ってくれて

日本語で結局2人で違うこと話してた

あたたかくなった

先週はのど飴をさらっと手元においてくれた人

あたたかい

 

 

帰ってすぐ、面接の予約をキャンセルしてしまった逃げの話は飛ばして

『コタツがない家』1話を観た

少し私の母に似てて、でもだいぶ似てない家族だった

おみそ汁みたいに、食卓に毎日あった方が幸せだなあと思えるようなそんな家族のお話で

これまたあたたかくて好きだった

作間くん、随分前から思っていたけどやっぱり伊藤健太郎くんにどこかお顔が似ているし、制服姿の順基くん、思わず彼を浮かべてしまうくらいにドキっとしてしまいました(個人の感想です)

2話も楽しみです

 

 

色々考えていたら夜になって、

リアルタイムではないけれど

2話観たんです、『いちばんすきな花』

また詳しくはゆっくり話すとして

見る少し前にあたたかい言葉をくれた人と 同じようなことを言ってて

びっくりした、わあ、ってなった、語彙力を失うには十分すぎるくらいに

 

自分と重ねてしまって視界がぼやけて

放送されてすぐ観るんじゃなかったって思ったけれど

それ以上に 今日この夜に観てよかったって

思えました

 

 

 

書いていたら途中で今、

今日が木曜日じゃなくて金曜日になった

 

 

早くこの目で月を見れますように🌜

 

 

 

 

白紙

 

 

 

 

だいすき


昨日は月が見えず、とぼとぼ夜道を帰りました

 

私が普段悩ましく感じることは決まって友達と呼べてしまう人たちのことで、連絡先交換したかしてないかあやふやくらいの人のことはあまりなくて、寧ろある意味素の自分なのかもしれない、

というのも、前者に、自分を対等に見てくれてないなあと思う時があります

 

これやってくれる?って頼まれるのも、一緒に行こうって誘われるのが私が最後の望みになっていることも、友達だと思ってくれていることも、全部真実なのには変わりなくて

 

断れない、断るのが苦手というのもあるけど頼られるのは苦じゃなくて、いいよ、って言うと

 

ありがとう!だいすき~~!

 

と返ってくる

 

嫌なことを言われた訳でもない、された訳でもない、遊びに誘えば遊んでくれる、連絡をしたら返してくれる、授業を一緒に受けてくれるような人たち、なのに じゃなくって だから

この気持ちのやり場がないのだなあといつも思うんです

 

 

言われた少し後に

ああ、だいすきかあ

と苦笑いしてしまう自分が今日も嫌いでした

 

 

 

 

『いちばんすきな花』を観て、

私の、いちばんすきな花が

誰かの、いちばんすきな花であってほしかったし

そんな誰かがいてくれたら

 

なんて思ってしまった

 

困った時、悲しい時、寂しい時に

真っ先に頭に思い浮かぶのは

電話をかけようと思うのは

私じゃない誰かなんだと、

自分に2人グループの相手は

親友と呼び合える人は

居ないんだなあと

時折我儘で面倒くさくなってしまいます

 

 

 

登場人物ひとりひとりの、

随分と前から染み付いているような様々な気持ちたちに 心が痛くなりました

 

無意識のうちに自分と重ねて見てしまった、

 

今日は2話だね

 

 

心から思った時に、思った人に、等身大のあなたと私であって、同じ目線で、片手でもなく両手で

だいすきを渡したい

 

 

 

白紙